平成25年10月19日(土) 中国講演会「三国志の世界」を開催しました。

 

多くの皆様の参加誠にありがとうございました。

 

 

 

 

 

【会長より】

 

 

 

5月本年度の総会で、三国志に係わる講演会を開催することを活動計画に入れた。講師選定は容易ではなかった。三国志に係わる著作者、研究者は数多くいることは承知していたが紹介者なしでは相手にされない。6月末になって昨年講演会講師を務めくれた田畑光永氏に頼んでみたら「三国志学会」と事務局長の渡邊義浩先生に交渉してみてはどうかとのアドバイスをもらった。早速、教えてもらったメールアドレスで渡邉先生に講師派遣を依頼したところ、「折角の計画なので私が行かせてもいます」との返事を頂いた。また日程については、10月20日(日)を希望された。即刻、理事の皆さんに計って渡邉先生による講演会実施を決めた。但、当日は、おおとり祭りと今年は鴻巣市が中山道宿場会議の主催地になっているため市挙げてのイベントが組まれており主要な会議場が全て使えない状況にあることがわかった。改めて20日以外での日程を先生に打診したが、10月中で可能なのは、ただ一日、前日19日の午後2時以降との返事だった。同日12時15分まで学習院での講義を終えて鴻巣に駆けつけるとのことで、ようやく日程設定ができた。会場は、収容人数80名までと駐車スペース確保ができることで、あたご公民館・会議室に決めた。

 

 

 

7月末、先生から演題を「三国志の世界」とすること連絡があった。9月初めには、レジュメ6ページ、写真3枚(諸葛亮・成都武侯祠、赤壁とご自身の写真)がメールで送信されて来た。理事の新井さんが、その写真を使ってポスターを作製した。なかなかの出来栄えで大いに宣伝効果を発揮した。市広報9月号まちかど掲示版欄に「三国志の世界」講演会開催の記事を掲載した。毎回講演会の参加者を集めるのに、たいへん苦労してきたが今回は、ほとんど、こちらからの声かけなしで相当数の参加申し込みがあった。やはり三国志の人気と渡邉先生の知名度によるものと思う。特に今までにはなかったインターネットでの応募者が10名近くいて、ネットの宣伝力を改めて認識した。当日の受付で54名の参加があり目標としていた60名には及ばなかったが、適度のゆとりを残して会場をほぼいっぱいにすることができたことは主催者として、うれしいかぎりです。

 

 

 

開会のあいさつで、私は現在日中間での政治的対立が深まり、そのことが両国民間の益々の感情悪化を来していることを最も憂慮していると述べた。このような状況のなかでも、我々は、お互いの歴史を学び相手方の文化を知るための交流の場を提供して行きたいと思っている。

 

今回の講演会もそのような趣旨のもとに開催することとした。今回、演題は、過去2年続いた近現代史を離れて皆さんよくご存じの三国志とすることにした。幸いにも三国志研究及び啓蒙活動の第一者、渡邉義浩先生を講師としてお迎えすることができました。先生のお話を聞くことで三国時代の歴史を理解し、魏、呉、蜀の英雄、豪傑の繰り広げる物語を楽しんで頂きたいと思います。

 

 

 

あらかじめレジュメ6ページとカラーコピーした写真2枚と地図1枚を配布した。先生の語り口はテンポよく名調子なので、ほとんどの人がレジュメに目を移すことなく聞き惚れた。三国志の最大の特長は、中国3世紀の三国時代を書いた正史であり、またそれをもとに創作された物語でもあるところかと思う。渡邉先生も講演の第1章で「二つの三国志」として陳寿の『三国志』と羅漢中『三国志演技』を説明された。歴史年表を見ると三国時代は、後漢滅亡後、曹魏の誕生(220年)から孫呉の消滅(280年)まで、わずか60年間であるが、この短期間に、かくも多く英雄、豪傑が歴史に登場した時代だった。魏志倭人伝は『魏書』の一巻。卑弥呼の治める邪馬台国の記述がある書だ。三国志本筋の話ではないので、講演会では、詳しくは触れなかった。史書『三国志』が曹魏を正統とし「演技」が蜀漢を中心にして書かれていることはよく知られている。先生は「演技」では悪役の曹操だが、実に革新性に富み政治、軍人、文学にも優れた人物だったと言う。長らく中原を支配したこともあり魏王朝が蜀、呉両国を凌ぐ存在だったのは確かなようだ。その曹操は官渡の戦(200年)で袁紹を滅ぼし河北一帯を治め歴史の舞台に登場した。

 

一方の雄、劉備は曹操ほどの卓越した軍事、統治能力はなかったが、それを補うに十分の人を惹きつける人間的魅力のある人物だったようだ。義兄弟の契りを結び生涯、劉備を補佐した関羽、張飛をはじめ多くの軍人、民衆が劉備の掲げる漢王朝復興を目指しての決起に参集した。三顧の礼をもって迎え入れた諸葛亮が劉備軍の軍師として大活躍をする。

 

巨大勢力となった曹操軍の侵攻をくい止めるべく、劉備軍は呉・孫権との呉・蜀連合軍で戦を挑み軍師・諸葛亮、の活躍で曹操軍を打ち破り、ここに魏・呉・蜀三国鼎立の時代の幕開けとなる。三国志最大の合戦、赤壁の戦(208年)である。

 

 

 

ごつごつした岩肌に長江の波しぶきが押し寄せる赤壁の写真は、先生自身で撮影されたもの。この長江で100万とも言われる曹操軍の軍船を連環の計に掛け、そこを火攻めで一気に焼払った映画「レッドクリフ」の映像が目に浮かぶ。呉の軍師・周瑜の要望応えて諸葛亮は山上に七星壇設け道術を行い東南の風を吹かしたと言う。この風を起こす術について渡邉先生は、符籙(おみくじ)の書き方など手ぶりを交えて演じられた。

 

 

 

三国時代は、魏、呉、蜀の三カ国が、互い相手牽制し又時には二国連合で他一国を攻めなど戦いながらも三国が鼎立する時代だった。曹操は魏王になるも生涯漢の臣であり続け、次の曹丕の時代に後漢から禅譲を受け、ここに後漢は滅亡し魏王朝となる。(222年)その後、曹氏が三代目に重臣・司馬氏に政権を奪われ魏王朝滅亡、晋王朝にとって代わられる。(267年)

 

魏を引き継いた晋からみて劉備の漢王朝は認められず便宜上「蜀漢」とした。蜀漢の劉備、呉との戦いで白帝城に死去(223年)、息子劉禅が即位する。諸葛亮が丞相として劉備の漢王朝復興の意志を継いて奮戦する。その諸葛亮も魏といくどかの戦いで五丈原にて死去する。

 

地方豪族の孫堅を継いだ孫策が江東の地を平定、政権基盤を築く。本拠地を建業に定め呉を建国する。(212年)4代続いた呉も最後は内部崩壊により晋に滅ぼされる。(286年)ここに三国時代は終焉する。

 

 

 

今回の渡邉先生の原稿は、パワーポイントで作成されていた。あたご公民館に映写設備がなく折角の映像を皆さんに見て頂くが出来ずたいへん残念でした。アンケート調査でも、今回の渡邉先生の講演はたいへん評判がよく来年にも継続してほしいとの要望が多かった。そのことを考慮して、来期には、映画「レッドクリフ」上映と同映画の監修者でもある渡邉義浩先生の講演会をセットとした企画を「平成26年度市民活動助成金事業」に申請した。

 

                              2013/12/27    臼田 記

 

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