平成24年12月8日(土) 日中国交正常化40周年記念講演会

会長 臼田
会長 臼田

【会長 挨拶】

 

大家好!” 皆さんこんにちは。“ターチアハオ”は、「こんにちは」にあたる中国語の挨拶です。この中国語の響きがすばらしいので私はよくこの言葉を挨拶に使っています。本日は師走のお忙しいなか鴻巣市日中友好協会の講演会にお集まり頂き本当にありがとうございます。私の古い大学の同級生、伊奈学園の同期生の皆さん遠路ご参加頂き感謝致します。熊谷市・行田市日中友好協会の皆さんもご参加頂きありがとうございます。本日ご来場の全て皆さんに、先ずもって厚く御礼を申し上げます。

 

昨年は1911年中国で起きた辛亥革命から百周年にあたり田所竹彦さんを招いて「辛亥革命百年の中国と革命の指導者・孫文」を話してもらいました。孫文は日本にも広い交友関係をもち革命には日本からの資金援助も得ていたようです。時代的も清朝末期から辛亥革命により成立した中華民国は明治維新により一歩先を進む日本に学ぶ姿勢が多く見られました。当時の日中関係は歴史的には稀な良好な時代だったようです。孫文への親しみもあってか参加者が多く、ほぼ、この会場いっぱいの60名を越える方々に集まって頂いてにぎやかな会を催すことができました。

 

今年は1972年、日中共同声明で日中両国が国交を正常化してから丁度40年になります。本来は日中両国で40周年を記念する各種行事が計画され、お祝すべき年でした。わたしども鴻巣市日中友好協会は今年5月貴州省貴陽市で開催された第13回中日友好交流会議のイベントに北本市の裏千家茶道教授・

清水廣子さんとともに「裏千家茶道文化交流会」として14名で参加しました。日本からは団長の加藤紘一、日中友好協会会長以下200名近くの人々が会議に参列しました。埼玉県鴻巣市からの14名は全国的にも最も多く、交換名簿を見て中国の人も鴻巣という所は相当大きい所らしいと思ったことでしょう。にぎやかな事の好きな中国人に「わび・さび」の茶道はどうかと思っていましたが、茶室に掛けられた清水先生が持参の掛け軸「一期一会」(イチゴイチエ)の言葉で中国の人たちも茶道の精神を理解してもらえたようです。日中両国に通じる漢字の力で交流の輪を広げることができました。

 

その後、前・石原都知事尖閣諸島の東京都により買い上げ発言から、9月日本政府の尖閣諸島国有化、それに反発する中国の強硬姿勢、反日デモが繰り広げられ日本のスパー、日本車が破壊する暴徒化した映像が連日テレビに流れ一挙に対中国の国民感情は悪化しました。メディアの最新調査では、「中国に親しみを持たない、ほとんど持たない」と言うひとが80.4%だそうです。そのような一般の人々の対中国感情の表れか、今回の講演会では昨年とは打って変わって一般者から申し込み者がきわめて少なく、参加者を増やすため一か月間文字どおり東奔西走の毎日でした。幸い中国との関係はなんとかしなければとご理解ある多くの皆さんのご参加をえて本日の講演会を開催にこぎつけました。本日参加された皆さんの思いを大切にし、いたずらな感情的抗争でなく冷静な議論を進め日中双方の利益になる付き合いをして行きたいものです。

 

今までにも日中間には歴史認識問題、靖国参拝問題などありましたが、今回の尖閣諸島領有権問題の争いをみると改めて日中両国は海を隔てはいるものの隣国同志であることに思い至ります。世界をみても隣国同志が友好関係を維持するには相互理解、交流の積み重ねが必要です。例えば、アジアでは紛争を繰り返して対立するインド・パキスタン、ヨーロッパでは、フランスとドイツがその例です、特に独仏両国は古くは19世紀の独仏戦争また20世紀は二度わたる世界大戦で戦火を交えるなど長年にわたる宿敵同士でした。1963年独仏協力条約を締結し友好協力関係を確立してEUの誕生で主要国となり、2003年には共通の歴史教科書まで作ったと言います。独仏両国の歩み見ても隣国協調がいかに忍耐強い努力の積み重ねであるかがわかります。日中両国もお互い引っ越しのできない隣国です。相互の利益のためにも互いの立場を理解し忍耐強く協調関係を維持していかなければなりません。

さて、本日の講師・田畑光永さんをご紹介致します。お手元の『講演者紹介』のパンフレットでご覧通り1972年 田中角栄首相、率いる日中共同声明交渉団にTBS記者として同行取材、その後中国北京、特派員、帰国後は「ニューススコープ」キャースター、そして香港支局長を務められました。TBS退社後は、神奈川大学経営学部教授を歴任する。日中共同声明の同行取材から、今尚現役のジャーナリストとして活躍されている人は、田畑さん以外はいないだろうと思います。日中正常化40周年記念の講演会には、国交正常化40年経て、その交渉がその後の日中関係にどう影響しているかについて語って頂くには、田畑さん、以上の講師はいない確信しております。

 

講師・田畑さんの了解により、前半1時間を講演していただき、休憩10分を挟んで、後半30分は

皆さん方から中国に関するご質問にお答え頂くこととしました。日頃疑問に思っていること、こう言うことは中国ではどうなっているなどなど是非お聞き下さい。中国は日本の25倍、人口で日本の約12倍の大国です。政治体制も異なるので、分かりにくいことの多い中国です。この機会に博識の田畑さんにお聞きしておきたいことあれば、ご準備おき下さい。では、田畑さん宜しくお願いします。

 

                                                    臼田誠躬

講師 田畑光永氏
講師 田畑光永氏

【講師紹介】 

 

日中国交正常化40周年記念講演会

 

『講演者紹介』 田畑光永 氏 (ジャーナリスト、(社)国際善隣協会・理事)

田畑光永(たばたみつなが、1935年生)

東京都出身、日比谷高校卒、1960年東京外国語大学中国語科卒業、東京放送(TBS)入社。1972年TBS記者として、日中国交正常化交渉を取材。政経部、外信部記者、

ドキュメンタリー制作を経て、77年から80年まで北京特派員、帰国後「報道特集」「ニュースコープ」キャスター、92年から94年まで香港支局長。1996年神奈川大学経営学部教授(~06年)。現在、(社)国際善隣協会・理事。月刊「善隣」編集と

寄稿。中国をはじめ韓国、北朝鮮を含む東アジア史の研究。講演活動。

 

著書

■  『中国を知る』岩波ジュニア新書 1990 

■ 『鄧小平の遺産 -離心・流動の中国―』岩波新書 1995

■ 『「中国のしくみ」が手短にわかる講座 経済成長を続ける巨大国家の実体を探り、その行方を見極めるために』ナツメ社・らくらく入門塾 2003

 

訳書

〇 J・ラル「テレビが中国を変えた」岩波書店

〇 聶衛平「私の囲碁の道」岩波書店

〇 S.シーグレブ「宗王朝」上下 サイマル出版会

〇 梁恒 「中国の冬」サイマル出版会

〇 J・マン「北京ジープ」ジャパンタイムス社 

 

講演活動 (本年度)

●  日中復交40年とマスメディア        8月29日  経団連会館 

●  復交40年、「わだかまり」の正体を見据えて。9月21日 アジア研究懇談会

●  日中復交40周年とアジアの歴史      11月24日 神奈川大学 

 

雑誌掲載論文

 「領有権問題」をめぐる歴史的事実―平和的解決のための糸口はどこにあるのか

雑誌 世界12月号(岩波書店) 

「日中復交40年―日本は幸運を忘れてはならない」 神奈川大学評論 (近刊)

 

 

鴻巣日中友好協会講演会レジュメ

           121208   田畑光永

 

―アジアの不幸と日本の幸運、そして60年―

◎敗戦国日本へのペナルティ  大きな幸運

1、戦争犯罪人  ABC各級に分かれて逮捕され、裁判に。

A28人、BC5700人以上。  死刑 A7人、BC984人。

2、領土削減  台湾と付属島嶼、サハリン南部、朝鮮半島、千島と歯舞・色丹

  このうち19C末以降の獲得地でないのは千島と歯舞・色丹のみ。

3、在外資産没収 最多は「満州」を含む中国、次いで朝鮮、台湾、米、東南アジア。

  総額不明 約300億ドル余か。

4、賠償  取立ては当然とされた。

「ポツダム宣言」第11項「其(日本)経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルガ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルベシ」

米政府の初期「対日方針」(459月)「平和的日本経済又ハ占領軍ニ対スル補給ノ為必要ナラザル物資又ハ現存資本設備及施設ヲ引キ渡スコト」

全体の賠償額  公式の数字はない? 194710月末に、「日本を占領管理する連合国の極東委員会に提出された構成11か国の対日賠償請求額の総計は540億ドルに上る」という報道あり。要求額の段階とはいえ巨額。

19481月に中国向け第1船、19495月 占領下の賠償取立ては中止。

19519月 サンフランシスコ講和条約第14条「支払うべし⇒しかし、日本の資源は経済の維持と賠償支払いには不十分⇒連合国は原則として請求権を放棄」

19524月 日華平和条約 賠償請求を放棄

19729月 日中共同声明    〃

  1955年―1976年 ビルマ、インドネシアなど東南アジア9か国に12億ドル弱。

5、植民地支配への補償  日本は「補償」は拒否

  対台湾  賠償は強く要求したが、補償の問題はなし。

  対韓国  1965年 無償供与3億ドル、有償供与2億ドル、民間借款10億ドル以上

  対北朝鮮 白紙

      ―総じて、日本に課されたペナルティは過少であった。大きな幸運。

◎東西熱戦の舞台 アジアの不幸

1、中国の国共内戦 19461949  大陸と台湾に政権が分裂

 ⇒分裂がなければ、中国は相当額の賠償を日本から得たはず。

2、朝鮮南北の内戦の国際化 19501953  半島分断の固定化

 ⇒朝鮮戦争がなければ、10億ドルともいわれる日本の朝鮮特需は発生せず。

  1965年日韓交渉での韓国の立場を弱くすることもなかった。

◎中国、韓国はなぜ100年前の歴史を持ち出すのか

【尖閣諸島関連年表】 (鴻巣レジュメ 2)  

           

1403 ▲『順風相送』 釣魚島、赤尾嶼などを記載 13721866 明、冊封使24回派遣

   ▲釣魚島海域は中国の伝統的な漁場であり、航海の目印として利用されてきた

1879 琉球を沖縄藩とする

1884 古賀辰四郎 尖閣諸島を「永康丸」で巡航、黄尾嶼に上陸 アホウ鳥羽毛の採取

1885 古賀 黄尾嶼の開拓許可願いを沖縄県令に 「国標の建設を」と陳情

   沖縄県が「出雲丸」で「沖縄県と清国福州の間に散在する無人島」の調査を実施

   ▲『申報』「台湾東北辺之海島、近有日本人懸日旗於其上、大有占拠の勢」

   西村沖縄県令「『中山傳信録』の釣魚島、黄尾嶼、赤尾嶼と同じものの疑いあり」

   山形有朋「清国所属の証拠なく、国標建設は差支えなし」

   井上馨「清国の猜疑を招くので、実地踏査に止め、国標建設は延期すべし」

1887 軍艦「金剛」 宮古島、八重山、魚釣島など調査

1890 1893 沖縄県知事 魚釣島・久米赤島・久場島に国標建設を上申

18941228 「(1885年)当時と今日とは事情も相異候に付」野村靖内務大臣

1895114 閣議 三島の沖縄県所轄決定と国標建設を認可、知事へ指示

     (官報に掲載せず、国標も1969年まで建設されず)

   417 日清下関条約調印 台湾を日本へ割譲(中国は釣魚島もここで割譲と見る)

   614 古賀 内務大臣に貸与願いを申請

189635 沖縄県郡制令公布 八重山郡に編入 古賀に30年無償貸与許可

   以後、古賀は海鳥の捕獲、鰹節製造などの事業を経営 1909 248人が居住

1900 沖縄師範学校教諭・黒岩恒 「尖閣列島」と命名 英海軍水路誌pinnacle group

1918  辰四郎死去 子息の善次が引き継ぎ 有料貸与⇒1932有償払下げ

1945 日本敗戦 全土が連合軍の占領下に 尖閣諸島も沖縄の一部として占領下に

195198 サンフランシスコ講和条約 沖縄は引き続き米軍統治下に 尖閣諸島も

   ▲918 中國政府声明「中国抜きの講和条約は不法かつ無効」

1952 日華平和条約 第二条領土条項 ▲尖閣に言及なし

195318 「人民日報」解説「沖縄人民の反米闘争」 尖閣諸島を沖縄の一部と明記

1968 国連ECAFE調査 石油の埋蔵を推定

1071611▲中華民国外交部声明 617沖縄返還協定 1230▲中国政府外交部声明

19727 竹入・周恩来会談 9 田中・周会談 ▲棚上げの黙約成立 △日本側否認

19788 園田・鄧小平会談 10 鄧小平 日本記者クラブで「棚上げ」を明言

(▲この間、中国、台湾の保釣運動でさまざまなトラブル。両国は現状維持で解決)

1992 ▲中華人民共和国領海および隣接区域法 「台湾と付属島嶼は中国に属する」

20109▲中国漁船が日本巡視船に体当たり

2012911 日本政府が地主より購入 対立激化

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